2012年05月12日

vol.153 弟

 2012年のゴールデンウイークも終わりました。少し天候に恵まれないGWでしたが、営業的にはまずまず。しかし、今年も、ほんとうにたくさんのお客様に来店していただきました。お客様と、頑張ってくれたみなさんに感謝です。ありがとうございました。
 さて、今日は私のすぐ下の弟、西田善彦のことを少し書かせてください。
 私たちは4人兄弟(ほんとは5人兄弟です。姉と私の間に、晴俊という私の一才上の兄がいたのですが、生後7日で夭逝しています。医療が今ほど充実していない当時は、こういうことはよくあることだったみたいです。ですから戸籍上、私は次男です。)
 姉が昭和24年、私が27年、善彦が29年、篤生(専務)が31年の生まれです。
 みなさん、不思議に思われたかもしれません。三男の篤生が専務で、次男の善彦が「新鮮市場」の店長であることを。善彦は、急がず焦らず自分のペースで生きていたい、そんな男です。
 善彦は、とても可愛い赤ちゃんでした。当時の写真を見ると、ふっくらとして、にっこりほほ笑むその笑顔は、今で言えば「福くん」という感じでしょうか。
 彼と私の性格は正反対。私は、ごそごそごそごそ落ち着きのない子供で、前向き積極の「Oh!!モーレツ」派。彼は、おっとりマイペースで、どちらかといえば「のんびり行こうよ、俺たちは」派。(40代以降の人はわかるでしょ。)
 成人しても、それは変わりません。彼はリーダーというものが、ほんとにイヤみたいで、店長になるのさえ嫌がっていました。そうもいかないので無理やり店長にしたというのがほんとの所です。
私たち姉弟4人の進路は、ほぼ父が決めました。父の望む形の道を進むことになりました。
 高校を卒業した私に、父は待っていましたとばかりに、魚屋を継げと言い、大学入試に落ちた私は、抗うすべもなく魚屋にさせられました。
 善彦の場合は、当時、父は寿司屋をやりたくて、高校卒業後、酔心調理師専門学校へ行かせました。家を出て広島に住む善彦が、とても羨ましかったのですが、父が見つけてきた部屋が、段原の小路を入って、もっと狭い、道ともいえぬ通路を行った先の薄暗いじめっとした長屋。この時ばかりは、荷物を置いて帰る時、さすがに可哀そうだなと思いました。もっとも、すぐに自分で探して、普通のアパートに引っ越したみたいですが。
 三男の篤生(専務)は、高校卒業後、大阪でアパレルの仕事につきたいという希望を持っていましたが、父の体も思うようでなく、庄原に残り私と魚屋になりました。姉は、広島の己斐の超繁盛している八百屋さんに嫁ぎ、嫁ぎ先でも魚を売るようになりました。
 善彦は専門学校を出て、近鉄宮島ガーデンに就職、ここに熊田みどりという女子大生がアルバイトに来ていて結婚します。たぶん彼が23歳の時です(因みに私が結婚したのは34歳です)。しばらく宮島の先の大野に住んでいました。そんな時、我が家の一大転機が訪れます。
 庄原にできるジョイフルながえというショッピングセンターに父が出店を決意したのです。周囲の猛反対のなか、父は私たち3人の男の子を武器に勝負にうって出ます。善彦も当然呼び戻されます。
 こうして昭和54年7月19日、庄原にジョイフルながえがオープンし、私たち兄弟3人と善彦の奥さんのみどりさんの4人で、その店が始まりました。私27才、善彦25才、篤生23才です。その時、父(54才)は店に青果売り場も併設していたので、みどりさんが、それを担当しました。彼女は結婚するまでデパートに勤めていましたが、帽子売り場で、野菜なんか売ったことはありません。私たちとて、父が我流で母と始めた魚屋で働いていただけで、私も篤生もどこかで修行したわけでもありません。
 オープンしてすぐ、まったく売れない日が続きました。私は仕入れもあったりするので、店は善彦夫婦とパートさんで守ります。可哀そうだったのは、みどりさんでした。生まれたばかりの子供もいるのに、やったことのない野菜の仕入れ販売を任され、ほんとうに大変だったと思います。
 一年間は、いつつぶれるのかという不安と、休むに休めないしんどい日々でした。そんなジョイフルの立ち上がりを支えたのは善彦夫婦でした。彼は午(馬)年ですが、牛のような辛抱強さがあります。
その一歩ずつの歩みが、その後の急成長につながりました。
 あれから33年、善彦が57才で退職。彼らしい引き際です。
 世の中は様変わりしました。会社も父と母の個人商店から、売上25億円、社員数500名になりました。創業の時のメンバーはほとんどいなくなりました。その分、若いスタッフが意欲を漲らせています。
 「人生到るところ青山あり」。残る人も去る人も、今を見据え、先を見据えて歩き続けねば・・・・。
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2012年04月12日

vol.152 ありがとう 正畑

この3月31日、鮮コーポレーションから、2人の創業メンバーが退職しました。
私の弟の西田善彦と、社員第1号の正畑公彦さん。

「ジョイフルながえ」という、庄原の田舎町に小粒のショッピングセンターが出来たのは、昭和54年、私は27才、善彦25才、正畑さん23才、今の副店長、主任のみんなの年です。私と善彦、専務、そして善彦の嫁のみどりさん、4人で始まりました。初めの半年は、本当に売れませんでした。
そこに専務の友達の正畑さんが入ってくれました。同じ頃、今は亡くなりましたが、小谷好明さん(29才)も入店、この小谷さんは、広島で何年も魚屋で働いたことのあるベテラン。この2人が入ってくれた事で店は勢いづきました。
小谷さんの魚の知識、技術が、店を、本物の魚屋にしてくれました。
そして、正畑さんのセンスの良さが、店に生命を吹きこんでくれました。彼が作る魚の切身のパックは、私たちが作るものと違って、とにかく美味しそうなのです。実際、あっという間に売れてしまいます。その商品だけが、陳列ケースの中で輝いているように見えるのです。同じようにするのですが、同じにならないのです。“センス”というしかない、そんな感じです。店全体のディスプレイ、売り場づくりも、見事でした。
2年目か3年目の正月あけ、彼が店に和凧を飾り始めました。他にも正月らしい飾りつけをし、商品ポップを筆で書き、魚を並べました。私はホントにびっくりしました。凄く、かっこいい店ができたのです。来店されるお客様も、その雰囲気の中で、楽しそうに買い物をしていただいていました。
彼は、正月休みを利用して、東京に行き、当時繁盛していた魚屋を見て回り、浅草や上野方面に立ち寄って勉強してきたらしいのです。その熱心さと店づくりのセンスに、私は感嘆し、彼にもっと勉強させよう、そしたら凄い能力を発揮するだろうと思いました。
それから、専務と一緒にアメリカに旅行に行く機会も作ったりしました。結婚前は、正月はハワイに一人で行ったりもしていました。どんどん自分の世界を広げていく姿に驚きました。
店の方もぐんぐん伸びました。他の町から来られたお客様が、店の活気を見て、「すごい店だ。こんな店見たことない」と言われた事がありました。私もそう思います。
私たち兄弟も若かった。他にも若いスタッフも入ってくれました。「ジョイフルながえ」では、私たちが長靴を履き、紺の揃いのジャンバーを着て仕事をする姿を見て、「西田軍団」と呼ばれていました。
その中心に正畑さんがいました。彼も私たちも店も輝いていました。
「西田鮮魚店 黄金の日々」でした。

しかし、正畑さんも年をとりました。55才。昔の輝きはもう見ることができません。
今年3月、もう頑張れないと、退職を申し出ました。ここ数年の彼の姿を見て、私も受け入れました。まだ55才、若すぎるとは思いながら・・・。
「盟友」という言葉があります。確かに、彼は私たち3兄弟の盟友でありました。
 若い充実した20代、30代を一緒に駆け抜けた「盟友」でした。
 寂しさと共に、時の経つ無情さ、そして年をとることの残酷さを思います。

 しかし、私はこれからが人生の頂点だと思います。
 もちろん、昔のようにはいきませんが、60才の輝きを放つ生き方をしようと思います。
 鮮コーポレーションには、30年前の私たちのように、輝きを放とうとしている仲間が頭角を表してきています。あのころの熱気が会社に甦ってきています。登場人物を変えながら・・・。
 自分たちの手で、自分たちの意志で、人生を輝かせてみせましょう。

 正畑さんは、人生はあと、まだ30年あります。頑張ってください。
 来月は、弟、善彦のことを少し書かせて下さい。
posted by 本部企画室 at 11:51| Comment(0) | 社長から社員に送る213通の手紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月08日

vol.150 つけない やっつける

 新年早々 ノロウイルスの洗礼を受けてしまいました。
 いわゆる細菌に比べて1/30〜1/100の大きさしかないノロウイルス。
 少しの量(10〜100個)で感染し、感染力が強く、感染しても症状が出ない人もいて、また症状が出て、下痢や嘔吐、発熱などの症状が消えても一週間〜一ヶ月くらいはウイルスを排出し、排出されたウイルスは、通常の部屋の温度で2週間、冷蔵庫なら2カ月という長い期間生き続け、アルコールや逆性せっけんも効きにくく、人から人への感染も多いこのウイルスは、まだ、これといった対応策が見つからない、保健所の方も言われていましたが、とても厄介なウイルスです。
 毎月、日本食品衛生協会から送られてくる「食と健康」という本があるのですが、その中に、「食品衛生事件ファイル」という記事が、毎号載せられています。全国で、その月にあった食中毒を紹介してあるのですが、2月号にあった事件を書きだしてみましょう

@11/29 長野市 カンピロバクター  「ごとく亭」で飲食した8人が下痢など 刺身やサラダなど食べ
A11/30 岐阜県 カンピロバクター  児童2人が発熱や下痢など 「やきにく道楽」で牛レバ刺しなど食べ
B12/ 1 愛媛県 ? バザーで販売したおでんで44人が発症 調理後の室温放置が原因
C12/ 2 沖縄県 サルモネラ  自宅で飲食した3人に症状 男児死亡 生卵が原因か?
D12/ 5 出雲市   ?    「うまいもん家大将」を利用したグループ18人のうち8人に下痢発熱E12/ 6 堺市  ウエルシュ菌 1074人が下痢や腹痛など訴え、原因は刑務所で調理した給食
F12/ 6 徳島県 植物性自然毒 スイセンの葉を食べ9人が発症 学校職員がニラと誤り調理実習で
G12/ 6 福岡市 動物性自然毒 「HAKATA虎玄多」でフグの肝みそ焼きを食べ男性が軽い呼吸障害など
H12/ 8 新潟市 ウエルシュ菌 受刑者230人が下痢や腹痛など 調理された給食を食べ
I12/ 8 浦安市   ?    ホテル内の「コーヒーハウスカリフォルニア」で18人が下痢・腹痛
J12/10 川崎市 ノロウイルス 「おさしみ居酒屋 彩」で3人が症状訴え 患者の便からウイルス検出
K12/11 滋賀県 ノロウイルス 「レストラン山びこ」で飲食した13人が下痢など 発症者からウイルス
L12/13 郡山市 ノロウイルス 「旬膳くしぜん」の食事で18人に症状 刺身や酢の物食べ
M12/14 奈良県 ノロウイルス 仕出し屋の配食利用者ら63人に症状 従業員からウイルス検出
N12/14 八戸市 ノロウイルス 8人が下痢や嘔吐・発熱など 「山海楼」で宴会コース食べ
O12/16 京都市 ノロウイルス 児童ら54人が下痢や発熱・嘔吐など もちつき大会でもちを食べ
P12/17 出雲市 ノロウイルス 「松翠苑」で昼食を食べ、17人が下痢 調理従事者からウイルス感染かQ12/21 和歌山県ノロウイルス 「三平」で食事した29人が訴え カキからウイルス関連の物質検出

 つい10年程前までは、冬になるとほっとしたものです。これで食中毒の危険がなくなると。
 しかし、この何年か、今まで胃腸炎として診断されたものの中にノロウイルスが見つかるようになり、また、新型インフルエンザとよく似た症状であることから、風邪と思いこんでいましたが、ノロウイルスが原因であることもありました。
 今回も下痢、嘔吐の症状が出ても我慢して出勤、仕事をしていて、症状がひどくなってから、仕事をやめて帰らせたそうですが、時すでに遅しでした。感染した本人も、ノロウイルスに感染したとは思わず、みんなに迷惑がかかるから、これくらいのことは我慢して仕事をしなくてはと思ったのでしょう。
 会社としては、いつも冬の下痢・嘔吐の症状を訴える人がいたら、ノロウイルスを疑い、出勤を止め、病院に行き、検便などの検査をしてもらうようにと言っていましたが、徹底が足りませんでした。
また、まったく症状が無いにも関わらず検便の結果ノロウイルス菌が検出されたスタッフもいました。
 他のサルモネラ菌や腸炎ビブリオ菌が、食品中で爆発的に増殖して食中毒を起こすのに対して、ウイルスは食品の中では増殖せず、人の体内(腸管)だけで増えるのだそうです。少ない量で感染し、人の体内で増え、人が動くことによって、ウイルスをまき散らすという一気に広がりやすい特性を持っているのがノロウイルスなのです。
 感染経路として、次のように説明してあります。
@ かきなどの二枚貝を十分に加熱(85℃で死滅)しないで食べた場合
A 感染した食品取扱者を介して二次感染した食品を食べた場合
B 患者の糞・便や吐物から二次感染した場合(店内でお客様が吐かれた場合の、ウイルスを広げない
  処理法も、もう一度確認しておいてください。)
C 家庭や共同生活施設での ヒト〜ヒトの直接感染
 今回の場合はACに当てはまりますね。
 殺菌の方法としては、次亜塩素酸ナトリウム(キッチンハイターなど:水5ℓに50ml=キャップ二杯)を希釈したもので拭くことがあげられています。
 私たちが、気をつけなければいけないことはたくさんありますが、やはり、常日頃から、丁寧な手洗いを習慣化することから始めることが大切です。手洗いがすべての衛生管理の出発点です。
そしてノロウイルス食中毒予防の二原則は 1 つけない  2.やっつける だそうです。
二度と、お客様を苦しめてはいけません。ゆめゆめ、油断することなかれ。心してください。
posted by 本部企画室 at 14:44| Comment(0) | 社長から社員に送る213通の手紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする